Jackson Browne

目次

Jackson Browneのプロフィール

Jackson Browneは、名曲を連発した、アメリカを代表するシンガーソングライターで、これまで1800万枚以上を売り上げています。

名盤「The Pretender」「Running on Empty」、名曲「Running on Empty」「The Load-Out/Stay」「Somebody’s Baby」などを生み出しました。

1948年10月9日、アメリカ軍の軍人をしていた父と専業主婦の母の間に、西ドイツのハイデルベルクで誕生。

1951年、3歳の時、家族でアメリカ、ロサンゼルスに引っ越す。

1966年、高校を卒業し、The Nitty Gritty Dirt Bandに加入するも、数ヶ月で脱退。

その後、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジに移り住み、エレクトラ・レコードの出版社であるニーナ・ミュージックのスタッフ・ライターとなる。

1967年、Tim BuckleyやThe Velvet UndergroundのNicoのバックとして活動し始める。

Nicoと恋愛関係になり、Nicoのデビューアルバム「Chelsea Girl」に作曲とギターで参加する。


Nico Chelsea Girl

Nico Chelsea Girl

アルバム「Chelsea Girl」1967

Jackson BrownはThe Nitty Gritty Dirt Band, Tom Rush, Nico, Steve Noonan, Gregg Allman, Joan Baez, The Eagles, Linda Ronstadt, The Byrds, Iain Matthewsなどに楽曲提供しデビュー前から関係者に「気が遠くなるようなメロディー」と絶賛され注目を浴びます。

1968年、Nicoと破局。

その後、中々レコード契約を結ぶことが出来ませんでしたが、マネージャーのデヴィッド・ゲフィンがアトランティックレコードの創設者アーメット・アーティガンにJackson Brownを売り込み。

「Jackson Brownは金になる。」と猛プッシュしたところ、アーメット・アーティガンは「金なら十分にある。儲かるなら自分でやってみたら。」と言われ、ゲフィンはアサイラムレコードを設立。

1971年、女優でモデルのフィリス・メジャーと交際。

1972年1月、デビューアルバム「Jackson Brown」をリリース。


Jackson Brown

Jackson Brown

アルバム「Jackson Brown」1972

Jackson Brownの澄んだ歌声とカントリーテイストな楽曲はデビューアルバムにして収録曲「Doctor, My Eyes」が全米8位、「Rock Me on the Water」全米48位と大ヒットを記録。

アルバムも全米53位を記録し、約100万枚を売り上げました。

1973年、フィリス・メジャーとの子供、イーサン・ブラウンが誕生。

1973年10月、セカンドアルバム「For Everyman」をリリース。


Jackson Brown For Everyman

Jackson Brown For Everyman

アルバム「For Everyman」1973

このアルバムの冒頭を飾る「Take It Easy」はJackson BrownとThe EagelsのGlenn Freyの共作で、The Eagels1972年のデビューアルバムでヒットさせていたもののセルフカバーとなりました。

その他、「These Days」についてもJackson Brownの作詞作曲ですが、NicoのデビューアルバムやThe Allman Brothers BandのGreg Allmanにカバーされたものをセルフカバーしています。

シングルとして「Redneck Friend」(全米85位)がリリースされ、同曲ではElton Johnが「Rockaday Johnnie」とい名でピアノを弾いています。

このアルバムもじわじわ売上を伸ばし、100万枚を売り上げました。

1974年9月、大名盤「Late for the Sky」をリリース。


Jackson Brown Late for the Sky

Jackson Brown Late for the Sky

アルバム「Late for the Sky」1974

このアルバムは、David Lindley(デヴィッド・リンドレー)、Don Henley(ドン・ヘンリー)、 などそうそうたるメンツが参加し、映画「Taxi Driver」の挿入歌としても使用された「Late for the Sky」、「Fountain of Sorrow(悲しみの泉)」「For a Dancer」などの代表曲を収録。

ヒット曲こそ出なかったものの、全米14位を記録して約100万枚を売上るJackson Brownの代表作となりました。

1975年末、フィリス・メジャーと正式に結婚。

1976年3月、アルバム製作にかかり切りになってしまいJackson Brownとの時間が取れなかった妻フィリス・メジャーが、夫の気を引こうとバルビツール酸を過剰摂取したことがきっかけで死亡。

1976年11月、アルバム「The Pretender」をリリース。


Jackson Brown The Pretender

Jackson Brown The Pretender

アルバム「The Pretender」1976

このアルバムは、妻の自殺の影響でダークな雰囲気のアルバムとなりました。

シングル「Here Come Those Tears Again(あふれでる涙)」は、自殺した妻の母親との共作で全米23位を記録。

第2段シングル「The Pretender」も全米58位を記録し、アルバム自体も全米5位を獲得。

約300万枚を売り上げる大ヒットアルバムとなりました。

1977年12月、ライブアルバム「Running on Empty」をリリース。


Jackson Brown Running on Empty

Jackson Brown Running on Empty

アルバム「Running on Empty」1977

このアルバムはライブアルバムですが、ライブ会場での収録はもちろんのこと、バスの中やホテルの部屋の中でレコーディングされ、過去の曲は収録されず、新曲やカバー曲が収録されました。

変則的なライブアルバムにも関わらず、シングル「Running On Empty(孤独なランナー)」全米11位、「Stay/The Load-Out」全米20位を記録。

アルバムも最高位全米3位、65週もチャートインし、最終的に700万枚を売上げる大ヒットとなりました。

1979年3月、スリーマイル島原発事故を受け、ミュージシャン仲間と反核団体「Musicians United for Safe Energy」を設立。

反核活動に積極的に参加し、ディアブロキャニオン発電所に抗議して逮捕されました。

1980年1月、アルバム「Hold Out」をリリース。


Jackson Brown Hold Out

Jackson Brown Hold Out

アルバム「Hold Out」1980

このアルバムの収録曲「Of Missing Persons」は、Jackson Brownのミュージシャン仲間のLowell George(Little Feat)の娘のために書かれた曲です。

その他、シングル「Boulevard」(全米19位)、「That Girl Could Sing」(全米22位)とヒットを連発。

アルバムはキャリア初の全米1位を獲得し、最終的に300万枚を売り上げました。

1981年1月、オーストラリア人モデルのリン・スウィーニーと結婚。

1982年、映画「Fast Times at Ridgemont High」のサウンドトラックのため、書き下ろしのシングル「Somebody’s Baby」をリリース。


Jackson Brown Somebody's Baby

Jackson Brown Somebody's Baby

シングル「Somebody’s Baby」1982

このシングルはJackson Brown最大のヒットシングルとなり全米7位を記録しました。

1983年、女優のダリル・ハンナと不倫が発覚してリン・スウィーニーと離婚。

1983年8月、アルバム「Lawyers in Love」をリリース。


Jackson Brown Lawyers in Love

Jackson Brown Lawyers in Love

アルバム「Lawyers in Love」1983

このアルバムから、ロック色と政治的メッセージが強くなり始めました。

アルバムからは4枚のシングルが切られ、「Lawyers In Love」全米13位、「Tender Is the Night」全米25位、「For a Rocker」全米45位などヒットを連発。

アルバムも全米8位を記録し、100万枚を売り上げました。

1986年2月、アルバム「Lives in the Balance」をリリース。


Jackson Brown Lives in the Balance

Jackson Brown Lives in the Balance

アルバム「Lives in the Balance」1986

このアルバムは、当時の大統領、ロナルド・レーガン大を批判した曲が3曲も含まれるなど政治的メッセージが全面に出たアルバムとなりました。

その他、シングル「For America」(全米30位)や自殺した最初の妻のことを歌った「In the Shape of a Heart」(全米70位)などを収録。

一般リスナーには受けませんでしたがファンには公表で、アルバム全米23位、50万枚を売り上げました。

1989年6月、アルバム「World in Motion」をリリース。


Jackson Brown World in Motion

Jackson Brown World in Motion

アルバム「World in Motion」1989

このアルバムでの政治的メッセージはアメリカを飛び出し、アフリカ人種問題、天安門事件、中南米戦争介入問題などを取り上げるなど、どんどん過激に。

アルバムは全米45位を記録したものの売上げは振るいませんでした。

1992年、ダリル・ハンナと別れる。

1993年10月、アルバム「I’m Alive」をリリース。


Jackson Brown I’m Alive

Jackson Brown I’m Alive

アルバム「I’m Alive」1993

このアルバムは、久々に政治的テーマから離れ、全盛期のような普遍的なテーマが歌われ、ファンから歓迎されました。

シングル「I’m Alive」は全米メインストリームロックチャートで18位を記録。

アルバムは全米40位を記録し、50万枚を売上げました。

1996年2月、アルバム「Looking East」をリリース。


Jackson Brown Looking East

Jackson Brown Looking East

アルバム「Looking East」1996

このアルバムでは再度政治的テーマを扱ったロックアルバムとなりました。

この路線はやはり大衆受けが良くないようで、全米36位を記録しましたが評価はいまいちでした。

2002年9月、アルバム「The Naked Ride Home」をリリース。


Jackson Brown The Naked Ride Home

Jackson Brown The Naked Ride Home

アルバム「The Naked Ride Home」2002

このアルバムには、シングル「The Night Inside Me」が、アダルト・コンテンポラリー・チャートで25位を獲得し、アルバムは全米36位、約14万枚を売り上げました。

2003年、『ローリング・ストーン』誌の「史上最高のアルバム500」に、ブラウンのアルバム『For Everyman』『Late for the Sky』『The Pretender』の3枚が選ばれる。

2004年、ロックの殿堂入り。

2005年、ライブアルバム「Solo Acoustic, Vol. 1」をリリース。


Jackson Brown Solo Acoustic, Vol. 1

Jackson Brown Solo Acoustic, Vol. 1

アルバム「Solo Acoustic, Vol. 1」2005

このアルバムは、2004年のツアーの模様を収録したものです。

トップ・インディペンデント・アルバム・チャートで4位、第48回グラミー賞において最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバムにノミネートされました。

2008年3月、ライブアルバム「Solo Acoustic, Vol. 2」をリリース。


Jackson Brown Solo Acoustic, Vol. 2

Jackson Brown Solo Acoustic, Vol. 2

アルバム「Solo Acoustic, Vol. 2」2008

このアルバムは前作の第2段となります。

2008年9月、アルバム「Time the Conqueror」をリリース。


Jackson Brown Time the Conqueror

Jackson Brown Time the Conqueror

アルバム「Time the Conqueror」2008

このアルバムも政治的メッセージの強い作風となり、全米20位を獲得しました。

2010年5月、ライブアルバム「Love Is Strange: En Vivo Con Tino」をリリース。


Jackson Brown Love Is Strange: En Vivo Con Tino

Jackson Brown Love Is Strange: En Vivo Con Tino

アルバム「Love Is Strange: En Vivo Con Tino」2010

このアルバムは、2006年3月にDavid Lindleyとスペイン人パーカッショニストのティノ・ディ・ジェラルドとのスペインツアーの模様を収録しています。

2011年のグラミー賞ベスト・コンテンポラリー・フォーク・アルバムにノミネート、更に、 全米46位を記録しました。

2014年10月、アルバム「Standing in the Breach」をリリース。


Jackson Brown Standing in the Breach

Jackson Brown Standing in the Breach

アルバム「Standing in the Breach」2014

久しぶりのスタジオアルバムは、政治的メッセージ曲とパーソナルな曲が混在したアルバムとなりました。

2020年3月、自身がコロナウイルスに感染したことを発表すると同時に、アルバム「Downhill from Everywhere」をリリース予定であったが、コロナウイルスまん延の関係で2021年に延期。

同じく予定していたJames Taylorとのツアーも延期となってしまいました。

Jackson Browneが影響を受けたアーティスト

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